都知事と志村ファン、見ているモノが違うか ?
2020/04/01
連日、新型コロナウィルスの件が報道される中、
遂にロックダウンするのかしないのか
みたいな話も飛び交う状況です。
そんな折、多くの日本国民に悲しみを与えるニュースが。
ドリフターズの志村けんさんの死です。
死因は新型コロナウィルス。
社化現象となってしまっているこの事態で
著名な方の訃報は
今、我々が直面している事態が
残酷にも命を奪っていくモノであることを
どこか他人事だった我々に
再認識させたように思えます。
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功績発言に多くの反感
新型コロナウィルスの件で
小池知事が記者会見を行い
状況を説明し、
ウィルス拡散防止に向けて
都内の多くの方々に向けての要請をされていました。
その日、たまたまですが
志村さんが亡くなった訳ですが
死因が新型コロナウィルス。
記者も勿論、質問してコメントを求めます。
それに対して、小池知事は
志村さんの最後の功績
と表現し、
多くの志村さんファンの反感を買っているようです。
なぜ反感が生まれるのか。
志村さんの死、という事象に違いは無く
私も前述したように
それを通して、
この新型コロナウィルスのことを
もっと真剣に考え直す人も増えると思います。
ではなぜ、反感が生まれるのでしょう
小池知事はコロナ、ファンは志村さん
表現が難しいのですが何とか記載してみます。
小池知事はあくまで新型コロナウィルスの件の解決に
目を向けています。
その課題解決に取り組む中、
生じてしまった出来事として、著名人 志村けんさんの死、です。
勿論、悲しいと思われているのでしょうが、
その悲しみがメインにはなりません。
極論、志村けんさんの死は多くの死者の中の 1 つでしかなく
その数字を抑えることが小池都知事の見ているモノです。
で、事実、多くの人が色々と再認識することになったため
これを功績と表現し、見ているモノとの位置付けが表現されました。
一方、志村ファンはなぜ反感したのか。
コロナの件が解決出来ていない状況に対する犠牲者として
志村さんを見て欲しく、
志村ファンと同じく、悲しみだとか怒りだとか悔しさだとか
そんなものを感じるコメントを求めていたのだと思います。
つまり、志村ファンは皆が愛する志村けんさんの死を見ていて
その背景が新型コロナウィルス。
まずは目の前の事象である志村さんの死を受け止めて
それを乗り越えて、背景でもあり現況でもあるコロナの件に
もっと取り組みたいと思っているのではないでしょうか。
同じような目線ですし
同じような方向性ですが
アプローチの手順や表現の仕方 1 つで
好感と反感が分かれてしまいます。
両者の立場や言い分、それぞれ、理解出来るモノがあります。
それが故に、コミュニケーションの難しさを再認識してしまいます。
人は分かり合うことが出来ないのでしょうかね…。
分かり合える手段の一つとして、笑い、があるのだと思います。
その笑いの伝道師である芸人さん。
さらにその芸人さんの中でも伝説級の方、
それが志村けんさんでした。
幼少の頃にテレビで見て楽しんでいただけに
何だかぽっかりと心に穴が空く気分でした。
謹んでお悔やみ申し上げます。