オリジナルは存在するのか
子どもたちが生まれてから
ずっと育児やら家事やら仕事で忙しくしていて
睡眠時間がなかなか確保出来ず
ヘトヘトな日々が続いています。
年少さん、年中さん、年長さんと年数を重ねるにつれて
少しずつ、余裕が出て来ているように思えますが
悲しいかな、それと同時に加齢に伴う体力減。
結局しんどいのは変わらず、です。
それはともかく、
育児を通じてよく考えてしまうのですが
子どもたちは本当に白紙な感じで
その真っ白なキャンバスに
周りの環境が作用して色が入る感じ。
そんな様を見ていると
子どもたちの、というよりは人そのものの
オリジナルって何なんだろう、という疑問が沸きます。
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他者の情報に憧れて感化
初めての子育てが双子ということもあり
さっぱり、余裕の無い感じでここまで至っています。
そのためか、子どもたちに提供する経験は
他の子どもと比べて少ないモノになっているかもしれません。
ただそれは、デメリットだけでなくメリットもあります。
もし子どもたちがアニメとかスマホ・タブレットのゲームばかりしていたら
きっとその他の物事を楽しくないと言い出しているでしょう。
例えばピアノ。
ピアノを購入して約 1 年が経ちますが
子どもたち、両手で弾く曲とかにも挑戦しています。
先日、YAMAHA のレッスンにて
両手で弾いてみよう、と言われて初めて挑戦する際に
竜太が結構普通に上手に弾けていたのを見て
結構ビックリしました。
初めてやってみるというのに、
随分と左右の手が上手にピアノ慣れしたものだと…。
毎日、ピアノの練習をコツコツと続けてきた成果です。
そんなに続けられたのも、おそらく、
うちであまり
動画を見せたりアプリで遊ばせることをしてないからでしょう。
一方で、保育園のお友だちとかは
割と自由に色々とさせて貰っている模様。
流行りの歌やアニメや映画のことを
どんどんうちの子どもたちに教えてくれています。
自身の生活の中では見たことも聞いたことも無いクセに
お友だちの多くが言うものは
モノは良いモノだと思い込むらしく
勝手に好きになっていきます。
情報の目新しさが刺激的なのでしょう。
しっかり感化されています。
見よう見真似の果てのアレンジがオリジナル ?
他者に感化された子どもたちの希望や話を聞くと
全く自分の無い奴らだな
と思えてしまいますが
自分自身も含み、
人間って皆そんなものな気がしてきています。
学生の頃に好きだった音楽なんて
友だちから勧められたモノだったりするじゃないですか。
ファッションだって、雑誌とかのメディアとか店頭のマネキン見て
いいなと思い始めて好きになる。
もっと言うと、小さな子どもたちは
親の仕草や行動を見て学び、真似して
色々と出来るコトが増えますよね。
そして完全に自分の動作に組み込みながら
そのうち自立して、自走していく。
オリジナルってどこにあるんだ
って考え自体が間違っているようにも思えてきます。
初めからそんなものは無いのかもしれません。
あるとすれば、それは自分なりのアレンジが加わっていったモノ。
アレンジ部分の割合が一定を超えると
きっとそれは他のモノとは異なる何かになっていて
それがようやくオリジナルとなるのではないでしょうか。
物事のスタート地点は結局、パクリなのだと。
竜太や竜子はお友だちや嫁さんや私から感化された趣味嗜好があります。
これを昇華・アレンジして、最後にはオリジナルが出てきたとき
それが本当の竜太と竜子なのだと思えてきました。
まだ見ぬ、自分を持った二人。
早く会いたいものです。