リーダーシップを取らないと動かないならその程度
2016/05/04
前回、
リーダーシップという言葉があまり好きではない
と記載していました。
その理由を説明する前に、
伊賀泰代さんの著書、”採用基準” で述べられている
“リーダーシップ” についても触れました。
今回は私が “リーダーシップ” という言葉が
イマイチ好きになれない理由を記載したいと思います。
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自然淘汰
リーダーシップを取らないといけない状況って
そもそもどんなときでしょう。
たいてい、停滞しそうな案件とかプロジェクトと思います。
皆が共感して推進力を持っている案件やプロジェクトは
既に無意識のうちに各自がやるべきことをやっている状態です。
前回、記載した伊賀泰代さんの “採用基準” で言うところの
各自がリーダーシップを取れている状態です。
(このように、別に各自がリーダーシップを取るという状態は
別に目新しいことでも無いというのが前回の記載です)
一方、停滞している状態では、
そのプロジェクトや案件を一番動かしたい人が
リーダーシップを取って、社内外、自組織、他組織を巻き込み
推進させる必要があります。
では停滞している理由は何でしょうか。
恐らく、その内容に対して、
多くの人が直感的に良いと思えないモノです。
自然の成り行きではスルーされるような立案やアイディアを
強引に推し進めるときにリーダーシップが
主に必要になるように思えています。
例えば、大企業病にかかった大組織の中の 1 案件とかですね。
イノベーションには必要
要は、
周りが理解を示さないものをリードするときに
リーダーシップが必要となるわけです。
前述したような
大企業の中の埋もれそうな 1 案件をいかに突出させてリードするか
といったケースが大半だと思います。
この意味においてあまり好きでは無いと思っています。
ただ、例外はあります。
イノベーションを起こすときも同じく、
このリーダーシップが必要になると思います。
多くの人が賛同出来ないほど革新的な案件を推し出すときです。
リーダーシップを取ろうとしている人には、
自身の案件がどちらに該当するのか判断出来ると思います。
願わくば、後者にのみその力を発揮して、
その他の社内業務成果が目的で社会への影響がないモノには
その優秀なリーダーシップ能力を発揮しないで頂きたいです。
自然淘汰で無駄・非効率が無くなっていくのを止めないで頂きたい。