双龍の父、大地に立つ

双子座、AB 型、晩婚理系男子が双子を授かりました

自由て何だろう

      2018/05/03

子どもたちの育児で疲弊している日々が続いています。

自由な時間が全くない訳ではありませんが

独身の頃から比べると本当に少なくて

出来ることも限られてしまいます。

その限られた中で出来ることをして

それはそれで幸せに感じていますが

独身の頃にこんな生活を想像していたら

きっとそれは不自由極まりなく

幸せとは程遠いように思ったことでしょう。

と言うわけで、自由な生活を夢見ている訳ですが

最近たまにふと思うことがあります。

そもそも自由とは一体、何なのだろう、と。

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選択の幅 = 自由 ?

試しに “自由とは” というキーワードで

google 検索したのですが

色々と出てきますね。

みんな共通の疑問なのかもしれません。

全部を見た訳ではありませんし

これは過去の私の怪しい記憶の範疇でしかありませんが

自由とは選択の幅

みたいなことを言う人が居ました。

つまり、何かしたいことがあったり解決が必要な課題に直面したとき、

選択できる手段が多ければ多いほど、自由なのだと。

まぁ確かにわからなくも無い話です。

選択できる幅が広い人が居る一方で

選択の余地なく生活している人だって存在します。

選択の幅が無く制約されている状態なので

それは不自由なのだと。

時間効率を優先する手段を選んだり、

コスト効率を優先する手段を選んだり、

社会的な体裁を優先する手段を選んだり、

いずれも自分が決定出来るのであれば

確かにそれは自由な気がします。

でも、まだ疑問が払拭しなかったりします。

ある種の自由を掴んだ代償として

別の何かの制約が発生しているように思えるのです。

選択肢の多さは、そこから決定する決断力を強いられます。

言い方を変えると、その中から選ばないといけない

という制約が発生しているのです。

自由なはずなのに、です。

実は完全な自由なんて存在しないように思えます。

自由 = 幸せ ?

自由に対するあこがれを持つ人は多いと思いますし、

私もそのうちの 1 人です。

なぜなら、自由になれば幸せに違いない

と漠然と信じているからです。

でもこれ、本当なのでしょうか。

昔、とある漫画・アニメで

言い回しは異なりますが

主人公のうちの一人がこんなことを言っていました。

不自由 = 不幸せではない

これ、本当にそう思います。

我々は自由を渇望しますがその理由は何なのでしょう。

簡単に言ってしまうなら、

自身の人生の幸せのため

だったりしませんか。

ただ幸せになりたいだけであって

その手段の一例が自由になることだったりします。

なので、不自由な生活をしていても

幸せな人たちは別に自由を渇望する必要すら無いように思えます。

幸せならそれでいいですよね。別に。

と言うわけで、

私の中での自由とは

永遠に叶えられず幸せになるための一手段に過ぎない

です。

自由になりたいのではなく、幸せになりたい。

今の生活が不自由であっても子どもたちの笑顔があるので幸せです。

つまり今のこの体力的に辛く制約のある生活であっても

幸せなので別に構わないのです。

今のままで良いのです。きっと。

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