子どもの貴重な時間に対する責任
このブログでは何度も触れていますが、うちの子どもたち、かなりパンク気味に色々と取り組んでいます。子どもたちが不自由な感じがして、不憫にも思えており、少しでも遊んだり自由なことをする時間を作れないかと日々、時間と格闘したり、効率化による時間の捻出を試みています。今、一番大切なモノは子どもたちの時間です。
そして子どもたちはかなり一生懸命頑張っていますので、子どもたちの頑張りが結果に結び付くようにすることが親や周りの大人の責務に思えています。そんな感じに考えていますので、常に子どもたちの取り組みには責任を感じていますが、それは必ずしも家族で一致した価値観という訳では無さそうです。
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無駄となる努力
手探りで何か道なき道を突き進む場合、何が正しいのかわからず進みます。積み重ねる努力や頑張りが間違っている方向で、功を奏することなく終わることも多々あるでしょう。紆余曲折しながらも道を探しながら前に進む。パイオニアのサダメというヤツです。
が、既にスキーム立てられていて、正しい道を踏み外さずに淡々と歩めば良いようなモノは、先駆者が開拓してくれた努力の結晶に感謝しながら、模倣してしまえば良いのです。子どもたちの取り組みは殆どがこのタイプ。頑張り方が違う場合、正して上げて適切な方向に向けてやる。それは何もかもを手取り足取りするような話ではなく、頑張っても意味のないことに貴重な時間を費やさないようにする話です。決して手厚く足元の石ころを取り除くような話ではないのです。
水の泡となった練習時間
子どもたちの通う YAMAHA 音楽教室のレッスンでは、家で練習してきた課題曲を披露して、問題無ければ合格を貰うという取り組みがあります。その日、竜太は自信満々にたっぷり練習してきた曲を披露しました。が、残念ながら不合格。どうやら、鍵盤を弾く指が間違っていた模様。これ、たまに起こります…。レッスン用に購入しているテキストの楽譜をよく見ると、どの指で弾くのかを示した指番号も記載されています。つまり竜太の確認不足が要因です。それを無視して気にせずに押しやすい指で練習を繰り返し、結局、不合格。
本人は盲目的になっているので気づきようがありません。気付くとするなら、周りに居る大人。つまり嫁さんと私。私は残念ながら楽譜が読めません。が、今回の竜太の間違いくらいなら私でも気づけたかも知れないレベル。竜太がこの 1、2 週間、間違ったやり方で練習していて、努力が報われなかったことを考えると、悔やむに悔やみきれません…。少し楽譜を見てあげるべきでした。
ただ、私が楽譜を見ても、殆の場合、わからないというオチになります。それが唯一出来る大人は、うちでは嫁さんだけ。がしかし、このことについて嫁さんは全く気に病むことも無さそうな素振り。全く自分には落ち度が無かったような態度。勿論、竜太の自己責任なのでそれも間違っていません。が、それはあまりにも謙虚さが無く、歩み寄りみたいなモノを微塵にも感じなかったです。
何か物事が上手く行かないとき、自分には何が出来たのだろうと考えるようにしていますが、そういった考えを持つ人が居て、そうでない人が居ると、考えている人が一方的にストレスを貯めます。そのイライラで私が別の話題に対して興味を示さなかった素振りをしてしまい、嫁さんはそれに対して不満を持ったようで、お互いに憤慨してしまいました。価値観や責任感は人それぞれですね。という大人な目線で振り返ってますが、向こうは一方的にこちらに落ち度があり私を悪者にしている模様です。やれやれ…です。