竜太なりに少しずつ成長しているのかも ?
このブログでは何度も触れていますが、うちの子どもたちは精神年齢が随分低いように感じます。特に酷いのは竜太。いつまで経っても自己中心的で都合良く物事を考える癖がありますし、自分を疑わないですし謙虚さが不足しており傲慢です。そのため、否定されると結構嫌がります。考え方の相違は認めますし、竜太の想いも分からなくも無いのですが、ですが竜太は自身が誤っていて正すべきは自分であるということを認めることがまだまだ苦手です。なので、そんな竜太の言動にはかなり気分を害してしまうのですが、もしかすると少しずつ竜太も成長しているのかも、と根拠無く思えて来ました。
スポンサーリンク
本人も辛いのかも
竜太の言動を是正するようにアレコレ言い続けていますが、竜太にとってはすぐに出来ないことを言われていて、物凄く居心地悪いのかもしれません。頭ではわかりながらも、なかなか行動に移せなかったり、どうしても思いついて言動に移す内容が大人の視点ではふざけているようなモノになるので、嫁さんや私から怒られて。その結果、竜太はアレもコレもダメと言われているような感じになっているのかもしれません。そこまで外堀埋められて否定されていると、いい加減、パンクして爆発しそうですが、竜太なりに物わかり良く振舞っていて、自身が怒られるに留めているのかもしれません。
そう考えていくと、竜太は毎日、辛そうです。特に私が厳しく色々言うものですから、どうしても悪ふざけしたくなるのかもしれません。楽しさを生み出したり、自身のストレスを吐き出したり。そんな理由を無意識のうちに。
信じて見守ることの難しさ
こんなときの親の対応の解は恐らく、子どものことを信じて辛抱強く成長を見守ること、なのだと思います。これ、本当に “言うは易く行うは難し” というやつです。お互い会話も出来ますし、約束も出来ます。なのでつい、対等に考え勝ちです。なので、毎回、約束を守って貰えないことに苛立ちが生じます。何を言っても別のコトをする竜太。何を約束しても守れない竜太。いくらゴメンナサイと言っても反省することなく繰り返してしまう竜太。そんな竜太に対して、辛抱強く信じ続けて成長を待つ。本当にそれはもう仏の心を必要とする苦行です。一般人以下のメンタルの私には耐え難いモノです。
しかしまぁ、こうしてツラツラと竜太のコトを想いながら綴っていくと、幾らか心が安らぎますし、頭の中のモヤモヤもマシになります。落ち着こう、という気が沸いてきます。私もまた、竜太に対して肩の力を抜いて寛大に、と何度も思い直していますがいつまで経っても実現できず。私も竜太と同じく、何度も自身の言ったことを実現できないで居ます。竜太に強く言う資格なんて無いのかもしれませんね。