育児を通じて人としての基本を再認識
このブログは育児生活を中心に綴っています。まだ私が独身で若手と呼ばれていたとき、職場の先輩方はもう結婚されていて、お子さんも居たりして、仕事のみならず家族のコトにも取り組んでいる様子が忙しそうにしていました。と言っても、それはどちらかと言うと女性の場合であって、男性社員の先輩方は割とパートナーに任せている感じがヒシヒシとしました。とは言え、それでも独身の私と比べると時間的制約を大きく受けてそうな感じがしていて、やはり結婚して子どもを持つことは大変そうだということが伝わって来ました。
そのときはただの忙しさだけが頭を過りましたが、実際に自分が育児に関わることとなって思うことは、育児を通じて人間が人間のコミュニティで生活する上で大切なこと、基本となることを再認識・勉強出来るということです。逆に言えば、育児経験が無かったら、私の場合は人として未熟なままだったかもしれません。育児に携われば携わる程、そう痛感します。
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人と人との基本が大事
子どもたちが小さい頃、何もわからない子どもたちに一から教えていきました。それは勿論、私だけではなく、周りの大人が皆そんな感じに。保育園の保育士さんも然り、子どもたちの じーじ や ばーば も然り。それは人間の社会では共通的で基本だからです。例えば挨拶だとか、何かして貰ったときの感謝の意を伝えること、つまりありがとうを伝えることだとか、相手に迷惑をかけたときの謝罪、つまりゴメンナサイを言うことだとか。そして反対にゴメンナサイを言われたら許してあげることだとか。
こうした基本が集団生活においては必須です。お互いに気遣いし合うことによって、時折生じる衝突だとかトラブルを緩和させて、お互い争い合うことなく共存出来るのです。人間は一人では生きていけません。必ず誰かのサポートを受ける必要があります。だから社会だとか集団を作り、その中で生活しています。でもその結果、人と人との接点でストレスだとかイザコザが生まれたりします。それを少しでも和らげる方法が、普段からの気遣いだとかコミュニケーションであって、そのためにも挨拶、感謝、謝罪は必須スキルと言えると思います。
不出来な子どもたちへの指導が自分に跳ね返る
子どもたちにそういった人間に必要な基本的なことを何度も何度も教えているうちに、自身もその重要性や大切さを再認識出来ます。なので、育児経験のある方の人間力は、そうでない人と比べて概ね高くなっているのではないかと想像します。勿論、具体的な証拠だとかデータを持ち合わせている訳では無いのですが、自分での比較においても、独身の頃より育児に取り組んだ経験を持つ今の自分の方がよっぽど真っ当な人間になれていると思います。
一方、お子さんが居るのにあまり育児に時間を費やせない人はこの成長機会を逃していることになります。育児に時間を費やすことを避けてショートカットし勝ちです。忍耐強く厳しく律するべき場面においても、波風立てないアプローチをとって子どもたちの機嫌を取ります。そうしたスタンスは、子どもたちに自分の非を見つめて認める行程をスキップさせてしまいますので、色々なモノゴトが なあなあ になってケジメが付きません。しっかりケジメを付けないので、同じ過ちはいつまでも続きますし、無くなる気配も無く、むしろそれに対して不満を言う人に非があるとまで考えます。こんな我儘で自己中な大人が出来ないためにも、小学校でもケジメを付ける教育指導は取られています。必ず何が悪かったのか反省し、そして謝罪して解決するアプローチ。シンプルで簡単な話なのですが、時間の無さや自身の甘えはこういったアプローチをショートカットします。育児にはやはり忍耐力と時間が必要ですね…。