感情に素直な幼さは個性で魅力のはず

最近、このブログで竜太の難しさについてばかり触れている気がします。本当に毎日毎日、竜太を中心に言い争いとか喧嘩が始まります。もう既に我が家は崩壊状態。いつもキッカケは竜太。そうなってしまっているときは、本人からも申し訳無さが滲み出ているように思えますが、問題は学習能力が無さ過ぎて何度も繰り返してしまっているところです。モノゴトには文脈があります。こう何度も繰り返されると、これまでのことも合わさった感情になり、性懲りも無く、といった気持ちで更に竜太のことを悪く捉えてしまいます。
竜太は本当に自分の感情に素直です。歳を重ねて成長するにつれて社会性だとか体裁を考えますので、個人差はありますが消えて行くモノです。それを年齢相当持ち合わせていないことは、それはそれで個性であって魅力なのですが、どうにも竜太の今の生活には合わないらしく、見ていていたたまれなくなります。
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自分に素直で居られるのはいつまで
竜太が刹那的な自身の感情でモノゴトの良し悪しだとか好き嫌いを判断している様子は、まるで保育園児だとか、下手をすると赤ちゃんのようです。お腹空いたら、眠くなったら、オシッコしたりウンチしたりしたら、それらの不快さを受けて素直に嫌がり、嫌という感情を前面に表現して見せます。竜太も同じで、勉強で間違えた問題を解き直すことを嫌ったり、予防接種の注射が怖くて泣いて嫌がったり、シイタケや香辛料だとか魚介の香りが強いものも気持ち悪がり嫌がります。それらが多くの人に支持されている理由や、自身にとって長期的に利点になることを考えるような大人っぽい姿勢や発想は全くありません。
こういった特徴は一体いつまで続くのでしょうか。永遠に続くような気もしていますが、一方で成長に伴って変わっていく気もしています。果たしていつまで… 。
画一的に決まる学年や学校
子どもたちの中学受験への取り組みを通じて、中学受験の現状の異常さとか大変さを身に沁みています。こういった経験や理解無しに、私立の中学に通うことを経済的余裕のある家庭がお金で解決したモノと捉えていた自分が無知で恥ずかしい程です。確かにお金の問題はかなり大きく重いです。受験に必要な費用も大きいですし、入学に伴い必要となる支払いを考えるとゾッとします。しかしそれ以上に、子どもの成長に関わるところの悩みが重々しく、それが故に家庭崩壊も招きます。子どもの成長が、画一的に用意された中学受験タイミングに追いつかない場合、心身ともにかなりの無理が生じます。
本来、成長は個人差が大きくあり、全員が公平に小学 6 年生受験に向けて成長出来る訳では無いのです。それはどんなに周りの大人が促したところで、どうにも変わらない子だって居るのです。うちの竜太のように。その魅力的な個性を評価してあげたいのに、中学受験に向けて取り組んでいると否定ばかりしてしまい、肯定してあげられません。本当につらいです。