効率化で排除された寄り道の恩恵を拾いに
先日、子どもたちの勉強の効率化の話をしていました。子どもたちに時間的な余裕を生み出すために、子どもたちの勉強に対する理解度を管理し、定着して無さそうなところに焦点を当てて取り組む方法です。効率化は取捨選択によって時間を生み出すことになり、それが意味するところは何かが捨てられているということです。それは無駄なモノや冗長なモノが該当しますが、実はそういった遠回りのプロセスで得られるモノもあったりして、単に時短すりゃいいってものでも無いというのが難しいところ。
例えば私が幼少の頃は随分とノンビリというか退屈に日々を過ごしていて、高校生のときに小学生時期に勉強していなかったことを随分と後悔しました。が、小学生のときに過ごしていた非効率な生活の中でも、中には良い経験をしていたりもして、そういったモノを効率化した生活をしている今の子どもたちとの生活では拾っていかないといけない状況です。
スポンサーリンク
理科で学ぶ音に関係するコト
先日、子どもたちが学校の授業で音について学んだらしく、そしてテスト勉強にと教科書とかを読んでいました。教科書には色々なモノを弾いたり吹いたり叩いたりして音を出している写真があり、ふと、ビンに向けて吹いて音を出す写真に目が留まりました。竜子がそれを見て、“これで音出るの ?” と純粋な質問をぶつけてきて、ちょっとハッとしました。
私が幼少の頃、ビン入りのジュースを飲む機会が多くは無かったですが少しはあったのです。で、美味しいジュースを飲み終わって満足と共に少し残念な気分にもなっていて、そのビンを口惜しく眺めて居たり手に取ってみたりしてたのです。そしてダラダラ過ごしていたが故ですが、それを使ってくだらない遊びをし始めました。取り合えずビンのクチに向けて息を吹きかけてみたり。そのうち上手く角度と吹き付ける息の量を調整すると大きな音が出ることに気付いて、音を出して遊んだりしていました。うちの子どもたちはビン入りのジュースなんて非合理的な飲み物を飲むことが無いですし、時間に余裕が無いのでそういったことに気付くことなく今に至っています。
お酢のビンに感謝
効率化で色々とショートカットするとやはりこういった経験の機会損失をしてしまうものだとシミジミと思い、何とか体験出来ないモノかと考えてみたところ、たまたまお酢の空きビンがゴミとして出される前の状態で我が家で待機しているのを見かけました。と言う訳でこれのクチを滅菌ティッシュで良く吹いて、竜子に吹いてみるように促しました。案の定、下手で大きな音が出ないのですが、恐らくと思う角度をこちらで調整してやると、期待した通りの大きい音が。そしてその音が鳴っているときにビンが振動している感じをビンを持つ手で確認できることを子どもたちに教えて、竜子はそのビリビリと震える振動も体験していました。その後、別の取り組みをしていた竜太を呼んで同じことをさせました。
と言う訳で子どもたちに一応、実体験する機会を与えてあげられましたが、やはりこれは自分で見つけたときの感動程大きなインパクトはないでしょう。ダラダラと時間を過ごす中、身近な不思議や現象に気付く。そういった経験が子どもたちには無さ過ぎます。これが今後の勉強にとって足かせとならなければ良いのですが…。