モノやコンテンツに満たされることは幸せなのか
このブログは子どもたちとの生活を中心に綴っています。子どもたちが生まれるタイミングで始めており、一応、育児生活を扱うブログですので。とは言え、育児生活といっても子どもたちのことだけでなく、自身の生活や仕事にも触れていたりします。そういった親の生活も含み、”育児生活” と思っています。また、育児を通じて得る気付くや再認識も多々あります。一人で生活する方が遙かに楽で容易ですが、自身の生活だけに視野が留まってしまいます。一方、家族との生活は、家族の他メンバーの生活も疑似体験出来ているような気がして、人生の幅が広まっている感じがします。そのため、育児生活を通じても、人生観というか哲学というか、色々と考えさせられることも多々生じます。
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満たされるとそれが普通に
子どもたちを見ていると、いかに人間が短絡的で浅はかなモノだと実感します。子どもたちは遠慮なしに物欲をぶつけて来ます。何でも欲しがります。無くて困っているモノを欲しがる分には良いのですが、既に代替のモノがある場合でも、単に目新しいから、衝動的に欲しいから、といった理由でおねだりすることも多々あります。キリがないので、たいていは退けているのですが、しつこかったり、よっぽど執着しているようなものだったり、何か頑張ったことに対するご褒美だったりすると、子どもたちの我儘を許してしまう傾向にあり、そういったタイミングで子どもたちは満たされる成功体験も持ってしまっていますので、思い付いたモノ・目に入ったモノで欲しいモノがあると、遠慮なしにそれを言ってきます。
特に酷いのは竜太です…。そしてもともと許可していなかったモノゴトが特別な理由で許可されたという背景があるのにも関わらず、子どもたちは一度満たされてしまうとそれが当たり前になり、もしそれが無いと今度は文句や不満を持ち始めます…。
いっそ無い方が幸せだったりしないか
竜太の例が分かりやすいです。竜太は無類のペンギン好きです。気が付けばペンギンのぬいぐるみが増えていますし、お気に入りのぬいぐるみを部屋の中で連れまわしたりしています。例えば勉強に取り組む際、傍に置いてみたり。そして、例えば私と一緒に答え合わせするときに、真面目に私の説明や解説を聞かずに、近くに置いたペンギンを触ったりして遊びながら聞く感じになっています。何度注意してもそれをやるので、いっそ、取り上げてしまったり、捨ててしまいたいくらいです。
明らかに竜太の欲で購入することになったペンギンは、竜太のモチベーションを上げるどころか、足を引っ張る存在になっています。竜太もそのぬいぐるみが無ければ消費しなかった時間が沢山あります。そして取り上げたらやはり気分を悪くして泣いて暴れて文句も言います。自業自得なのに。こんな感じで良いことがさっぱり無いので、いっそ、その欲は満たされない方が幸せだったのではないかと思うほどです。満たされれば幸せ、と言う訳でもないようです。