選択肢があれば不満はないのでは ?
先日、
mikihouse のアウトレットセールみたいな催し物があり
嫁さんが行きたいと言うので
子どもたちを連れて行ってきました。
型落ちだとか訳ありだとか B 級のものが
格安で販売されていた訳ですが
もともと mikihouse は高級品なので
例えば半額になっていたとしても
結局高くて手が出せませんでした 笑
一方でユニクロとかが低価格の子ども服を販売しています。
このことについて、ふと思ったことがあります。
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選択肢の広さは恵まれている
子どもが出来るまで、
mikihouse というブランドのことを
そんなに知りませんでした。
何か聞いたことがある、程度で。
でもこのブランド、
子ども向けの服だとか何だとかの一流ブランドで
品質が良いですが、やはりお高いです。
例えば定価が 1 万円くらいの子ども服とかもあるわけです。
半額でかなりのディスカウントだったりしても
5,000 円はキツイですよね。
一方でユニクロとかはもっと安い訳ですし。
もちろん、それぞれコストに応じた良品質と思います。
それだけ選択肢があるってのが
この国は恵まれているなと思いました。
格差があっても不自由ないのでは ?
資本主義の仕組みの上でこの国は成り立っています。
社会主義国家では無いですからね。
基本的には競争の原理で成長することが前提ですし
頑張った人や企業・成功した人や企業が
その分恩恵を得るような仕組みです。
その結果、格差が生まれて
成功した人や企業は成功し続けて
そうでない人はずっと留まり
その結果、格差が生まれるという話もあります。
その格差は容易に逆転出来るものではないため
不公平さが問題視されます。
でも、mikihouse の催しモノに行ってみて
改めて高価格なことを認識して
代替案としてユニクロだとか
ちょっと背伸びして無印だとか
そのあたりのプレイヤを思い描けました。
つまり身の程の丈ってやつです。
もし格差であったり富の差に不満があったり不公平さがあるとすれば
身の程の丈の選択肢が出来ない場合な気がします。
それぞれのポジションで良い選択肢が用意されているのであれば
実は格差も問題にならないように思えています。
なぜなら
お金で困りごとや課題は解決出来ますが
幸せは買えませんし、
幸せはどのポジションに居ても見つけられます。
それなら、格差があったとしても
それぞれのポジションで適した選択肢さえあれば特に不都合もなく
各自、幸せを見つけて幸せになれる可能性がある訳ですから。
ダイソーだとかユニクロの存在に感謝です。