肩の力を抜いて少し無責任に
2019/03/01
毎日、子どもの対応で奮闘する日々ですが
どうにもストレス過多で
イライラ、カリカリしてしまい勝ちです。
以前と異なり
子どもたちは何とか会話も出来ていますし
こちらの言うことも
結構わかってきています。
その分、コミュニケーションが取れているように
親の視点では思い勝ちですが
それ故に、
言ったのに、言っているのに
どうにもそれを踏まえた行動をしてくれない辺りに
物凄い憤りが生じます。
特に、駄目と言ったことを繰り返されたりすると。
そしてこちらの疲労度合いや
余裕の無さ次第では
カッとなってしまって
子どもたちに酷いことをし兼ねないのですが
もう叩くことはしていません。
その代わり、何とか子どもたちに
(駄目なものは駄目だと) 学んでほしいため
一生懸命伝えようとしますが
これについて、理解者が居なく、
一人で悶々と抱えていることがあります。
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怒っているのではなく叱りたい
何か子どもたちが
してはいけないことをしてしまった際、
それを繰り返すと本人たちのためにならなく
何とか辞めてもらいたいことと思うことが色々とあります。
些細なことであれば気になりませんが
基本姿勢として間違っていることについて
しっかりと伝えていきたいという思いが
私の中で強く
その思いをどう伝えたら良いのかいつも困っています。
一昔前は、
言葉でわからない子どもたちに向けて
親は厳しく接して子どもたちに伝えることをしていたと思います。
インターナショナルスクールとかでは
今でも反省時には椅子に長時間座らせて反省させる
といったことがやられていると聞いたこともあります。
欧米は、アジア圏と比べて子どもたちにかなり厳しい反面、
褒めるときは褒めちぎるようです。
物凄く合理的に思えるのですが
実生活でこれをしようとすることは困難です。
先日、竜太 (仮称) が自分の大切なものを
どこに置いた or 仕舞ったのかわからなくなり
いつも子どもたちが片付けをしない中
仕方無しに私が片付けをする傾向があるので
私がその大切なモノを捨てるなり何なりした
といった言いがかりをしてきました。
対人的にそのようなスタンスは
どうにも間違っていて
そんな感覚を持ち合わせて育つことは
本人たちの人生においても良くないと思い
しっかり悪いことをしていると伝えたくて
叩くわけにもいかないので
物凄く怒って見せたのですが
嫁さんがそれをするなと私を止めました。
嫁さんは私が腹を立てていると思ったようです。
一歩退くことを決断
私は何とか子どもたちに伝えたいと思うのですが
その手段で良い案を思いつきません。
優しく伝えても、
子どもたちはその場限りでハイハイと受け流す傾向にあります。
なので、どうにも記憶と認識に残らないようで
繰り返してしまう状況です。
どうにか頭ではなく全身で学んでほしいため
憤慨した姿を見せてでも伝えようとしていましたが
嫁さんはその姿を子どもたちがマネたり
近所から通報されることを恐れているみたいです。
その意見もわかりますが
マネして恥ずかしい思いをするのは本人で
その恥ずかしさから自分の振る舞いを正すことを
繰り返していくことが人生では不可欠に思えています。
親からの影響だけでなく、
周りの色々な影響を受けて、マネして
一部は好印象で、一部は印象が悪く
更にその一部は自らも恥ずかしい思いをしたり
後悔をしたりして
今後の振る舞いを改めるといったことを繰り返すことになります。
その周りの影響の一部が私なだけです。
なので、気にするところではない、というのが私の意見。
それでも嫁さんの主張はわからなくもなく
とは言え他に何か良い案と思えるアプローチも思いつかないので
叱ることは嫁さんに任せて
私は一歩退いて、少し肩の力を抜いて関わろうと思います。
言葉を悪く表現すると、子どもたちの将来に対して
感情的にならず責任もそこまで感じないようにして
少し他人事のように見ておこうと思います。
子どもたちに対する期待と責任の重圧が
このような状態にしていることも事実です。
自分自身が押し潰されないように
肩の力を抜いてみようと思います。
もともとが感情的なところもあり
これはこれで難しい立ち振舞ですが
人生にチャレンジは付き物です。
子どもたちだけでなく、大人も日々、挑戦ですね。