謙虚さが無いところが嫌
先日、うちの親に久しぶりに会った旨を記載していました。
年に 1 回、もしくは 2 年に 1 回くらいは
うちの実家にも帰省して
うちの子どもたちの成長っぷりを
見せてあげて
親孝行していました。
が、コロナの影響で帰省するタイミングを逸していました。
オミクロンはかなり広がっている中
心苦しさはありましたが
うちの両親に来てもらい、久しぶりの再会を果たしました。
二人は喜んで居ましたし
うちの子どもたちや私も楽しく過ごせたのですが
相変わらず好きになれないことがあります。
我が親、ながら。
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情報弱者なのに有識者っぷり
うちの親は二人とも
かなりの情報弱者です。
パソコンやスマホを使って
検索して必要な情報にリーチする
といったことが出来ません。
一般的なサービスを
オンラインで利用することもままなりません。
例えば先日のフライトの予約だとか、ホテルの予約。
全然出来ません。
私自身、
大学で情報科学を専攻して卒業していますし
職業も SE だったりする立場からすると
親子のリテラシ差は半端ないことになります。
そんな両親の情報ソースは
主にテレビと知人との会話です。
なので、情報の正確性や信憑性が甚だ怪しい。
テレビで報じられる情報は
ある程度、報道前に精査されているとは思いますが
テレビからの情報には提供者の思惑が入っていたりします。
客観的に捉えることが出来なければ誤解します。
更に両親 2 人の理解力が怪しいこともあり
かなりの誤解をして思い込んでいることが多々あります。
そしてそれがいかにも正しい情報であり
自身が有識者かのように語ることが多々あり
私は昔からこの点が嫌いでしたし、今も好きでは無いです。
謙虚に勉強
うちの親に足りない決定的な要素は
謙虚さです。
詳しく無いモノ、分からないモノに
距離を取ることは合っても
それらに対して謙虚に接することがありません。
謙虚に接することが出来れば
臭いモノに蓋を占めたり
耳を塞いだりせずに
自身の至らなさを直視し
マイナスをゼロに、ゼロをプラスにするはずです。
距離を取るということは
マイナスをマイナスのまま何もしない、ということです。
これは対峙するモノ事への配慮とも見られますが
距離を取った自身の振る舞いは改まることがありませんので
自身を容認・肯定しつつ、何も変えないことです。
更にうちの両親は非常に短気です。
怒りっぽさで色々な物事で損をしているように思えます。
気に食わないこと、失敗したことから目を反らし
そこから得るモノを模索しません。
なので、新たな試みや挑戦が全然発生しないのです。
と実親の文句ばかり書いてしまいましたが
彼らのおかげで養うことが出来たことや考え方や
得意分野もあります。
そのおかげでこうやって今も生活出来ています。
トータルで彼らのことを好きで居ますし、感謝しています。
実の親、ですからね。
親子ってそんなものな気がしています。