地雷原の中で生き残るのは聖人君主か ?
育児生活で毎日奮闘する生活を続けていますが、ここ 10 年くらいで社会は随分と敏感で神経質になったように思えます。良い面もあれば、悪い面もあります。良い面としては色々な振る舞いの抑止力、是正、といった感じでしょうか。悪い面としては、様々な制約。単なる制約程度なら良いのですが、これが非現実的なレベルになっていっている気がしていて、何をどう振る舞ってもアラを探すことが出来て、意図的に炎上・血祭に上げられてしまう世の中になってしまっている気がします…。
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地雷は多次元・多層に存在
更に厄介なことは、過去の常識が今の常識と合わず通用しないことは致し方ないにしても、過去の言動の記録を引っ張り上げて、こんなことを過去にしたとして退陣に追い込まれることもあります。この傾向はかなりの可能性を消してしまうのではないでしょうかね。現行の多数あるタブーが過去の振る舞いでも起爆するのですから。長く生きて長く活動をしている人なら、過去か現在のタブーを犯すこともあるでしょうし、現在セーフでも未来ではアウトになることを今のうちから踏んでしまい、未来で検挙されるなんてこともある訳です。
時系列の話に加えて、人間には多面性がありますし、色々なコミュニティに属して色々な役割を担う時代です。ある側面の言動で失敗した人を非難し、その人の全てが失われるのであれば、これもまた、身の回りには多層に地雷原が広がっている状態と同じであり、生き残るのは不可能では無いかと思います。
余裕の無い生活での言動
地雷に囲まれた生活を強いられながらも、器用に全身全霊の注意を払って地雷を踏まないように生活をするのですが、人間は心や時間に余裕が無いと、注力が甘くなり、うっかり踏んでしまうことも多々あります。
羽目を外すために、地雷の有無を気にせずリラックスしている場合においても、どんな伏兵が隠れているかわかりません。羽目外していたと思ったら、地雷踏んでた、みたいなことも起こり得る時代です。また、時間と心に余裕がなくつい乱暴に振舞ってしまった、だとか、雑に扱ってしまった、なんてことも許されないのです。
こんな時代にノーミスで涼しい顔をして生き延びることが出来る人なんて、居るのでしょうか。そんなに世の中、聖人君主だらけとは思えません。もっと色々な人の色々な側面を見て欲しいモノです…。アラを探すのではなく、良い振る舞いを探す目で。