何を注意されても、怒られても、他責

このブログは子どもたちとの育児生活を中心に綴った育児ブログです。子どもたちはもう小学 4 年生。通う塾ではもう中学受験に向けた勉強が本格化していて、定期的に受けるテストの結果に一喜一憂する生活になってしまいました。まぁ一喜一憂は竜子の結果で、竜太の場合は一喜四憂くらいですけど…。なので竜太に対しての期待値は随分と下がってしまっているように思えます。英検 3 級の取り組みも然りですが、中学受験に向けた勉強や科目についても、竜太と竜子で同じように取り組ませているのですが、なぜかこうも差が開いてしまいました。双子の場合、二人の間に成績差が生まれると物凄く悩ましい感じになります。ここに来て、双子ならではの悩みに直面しています。
竜太は成績だけでなく、生活態度でもかなり難があります。概ね竜子も同じ傾向ですが、竜太の場合はかなり深刻です。基本的に他責に物事を捉えている節があります。
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自己正当化
嫁さんや私が竜太に注意したり怒っても、開口一番に出て来る言葉は “だって” です。注意されたり怒られた自身を正当化しようとします。”だって” から続く理由は説明が道理の行くものならまだ良いのですが、どれもコレも言い訳がましいモノばかり。どれも自分では無く周りが悪いという言い草です。この態度を常にとる竜太に対して、嫁さんや私は日々イライラしています。
嫁さんは自身を正当化するために、自分自身がイライラして怒る理由は、竜太の言動で私が怒るため、竜太を怒らせないようにしたいというモノ。その思いがあるので、竜太が相手の気分を害する言動を取った場合に、嫁さん自身が憤慨することは私のせい、私の責任だと主張しています。とまぁこんな風に書くと、竜太も嫁さんも他責ばかりしています。似たモノ親子ですね…。
変えられるのは自分のみ
人と人の間に何かトラブルだとか失敗だとか過失が起きる状況において、多くの場合は完全に片方だけ悪いということは少ないと思います。勿論、そういったケースもあると思いますが、多くの場合はお互い様だったり、もう少しそうならない工夫の余地が双方に会ったりします。なので、私はいつも、自分に出来ることは無かったのだろうかと考えたりしますが、相手が一方的にこちらが悪いと主張して来るとイラっとします。それに加え、その相手はなぜそこまで自分のコトを棚に上げられるのだろうと不思議に思ってしまいます。竜太がまさにそんな感じで、何か起きても自分の非を探したり認めることはまずありません。そのため、ゴメンナサイを最初に言うことは無く、前述のように “だって” が出てきます。
前述のように “だって” から始まる話の内容でまともなモノはほぼありません。モノが落ちたときもそのモノが近くにあったことが悪いというスタンスです。聞いていてイライラします。そしてなぜか竜太自身もイライラしています。モノだとか周りの人にあたるのではなく、自分自身が少し避けたり譲ったりすることでそういった困った状況は回避できるというのに、いつも被害者面しています。周りをコントロールすることは不可能です。自分で変えられることは自分のコトだけです。そこの注力して、その困った事態に陥らないようにするために、自分は何をすれば良いのか考えて行動を取る。そういったスタンスが身に付けば良いのですが、果たして何年先になることやら。